仕事はアクセス解析システムの新システム移行、改善に向けた調査。
昼御飯は社員食堂で酢豚。
夕御飯は自然食カフェでアジのにんにく風煮付け。
奴隷道徳という言葉がある。
本来はニーチェがキリスト教道徳、ヒューマニズム、民主主義思想を批判するときに使った言葉だが、その意味を少し敷衍して(曲解して?)いるところがあって、なるほどと思った。
哲学者ニーチェは、自らの努力により自己肯定(「自分は正しい」)を勝ち取るのではなく、相手を「悪視」し「相手と違う自分は正しい」とする観念を「奴隷道徳」と呼んでこれを批判した。
(
なぜ左翼は若者が自分たちの味方になるなどと、馬鹿面下げて思っているのかより)
もう少し詳しい説明。
ニーチェは「強者」の貴族的道徳は「わたしはこんなことができる」だから「わたしはよい」ゆえに「わたしのようにある、できることはよい」という自己肯定から善をモデル化し、その欠如、不足として悪をイメージするのに対し、「弱者」の奴隷道徳は、「あいつは敵、迫害者だ」だから「あいつはわるい」ゆえに「あいつと対立するわれわれは正しい」という憎悪、他者の否定から悪をモデル化し、その否定、反対者として善をモデル化するとして、後者の善の基礎にある怨恨感情をルサンチマンと呼ぶ。そこから奴隷道徳の善は、否定の意志、憎悪を常に隠し持っているため、抑圧的、欺瞞的、病的だとして批判するのである。
(
「ルサンチマンとは」より)
ネット上での右翼的発言を繰り返す人々のことや、郵政民営化に理由なく賛成票を投じた人々のことを、この「奴隷道徳」に支配されていると説明していて納得した。
何かを悪いことと考えて、それに反対することで、自己を正当化しようとする姿勢というのは、結構いろいろな立場の人々に見える。