いまさらながら「甘えの構造」(土井健郎)を読んでいる。
まだ読んでいる途中なのだが、一つ思ったことを。
うつとは「甘え」ではないか?
誤解を招く書き方だが、決してうつ病に苦しんでいる人が甘えているといっているのではない。
まず「甘え」というのは、相手が自分に好意をもっていることを前提にした態度をとることである。
好意というのは、具体的には理解してくれる、話を聞いてくれるということである。
個人的な印象ではあるが、うつになる人というのは「気がすまない」人が多い気がする。
古典的なうつの人の場合は、仕事や家事などをきちんとしないと「気がすまない」。
現代型のうつの人の場合は、自分の思ったとおりに物事が進まないと「気がすまない」。
そして、抑うつの原因になるのは、「気がすまない」ということを、周囲の誰もが理解してくれないということではないか?
つまり、自分の「気がすまない」という状態に陥っているという苦悩を、相手が理解してくれるという「甘え」がうつにつながっているのではないか?
異論、反論あると思うが、着想としては面白そうなので、少しこの方向で考えてみたい。