朝御飯にさつまいもとたまねぎのスープを作った。
その味付けにホットサラダであまったレモンの皮を入れた。
これが同居人には不評で、農薬が怖いから、国内有機栽培で料理で替えがきかないときぐらいじゃないと、レモンの皮は使わないほうがいいといわれた。
私は食にうとくてそういった感覚がなかったのだが、やはり気にすべきところだと思う。
しかし、なんだかこの件が引っかかっている。
レモンの皮のように瑣末なことで、私と同居人の間の空気がおかしくなる。
今朝の通勤電車で、私が改札のところで機械に引っかかって遅れて電車に乗った。
「定期がうまく通らなくて」と話しかけれたら、ものすごく冷たい目をされて知らないふり。
その後も電車の中でもすごく疲れたつらそうな顔をしていた。
電車を降りた後聞いたら、「声が大きかったからいやだった」。
それならそう注意してほしい。
それだけでのことなのに、なんでそんなに一日がダメになってしまったみたいな顔をしているの?
私の感覚と同居人の感覚のずれが、すこしずつ同居人を疲弊させているような気がする。
一個一個はレモンの皮のように小さなことでも、チクリチクリと心をつついている。
地層のようにうっすらと私と同居人の間にちり積もっているみたいで、隔たりが大きくなってしまいそうで怖い。
仕事は大規模トラブルの対応。
システムのブラッシュアップとテスト準備。
朝御飯は目玉焼きとホットサラダとスープ。
昼御飯は鶏のから揚げ。
夕御飯はデイケアのメンバーと会食。
産業カウンセラーと面談。
最近自分では調子がいいと思っているが、もしかしたら躁鬱的な変動で、軽く躁転しているのかもしれないから、落ち着いていろいろな人に意見を聞いたほうがいいと言われる。
早朝覚醒して朝御飯を作るのも、ウォーキングをやるのも、仕事に意欲があるのも、電車で声がいつもより大きいのも、たしかに躁の症状かもしれない。
もしそうだとしてもあまり落ち込まないようにしたい。